後腹膜胚細胞腫瘍(性腺外胚細胞腫瘍)を克服した自分の振り返り
大変お久しぶりです。
ふと、自分の闘病記をまとめておこうと思って、5年ぶりに投稿をします。
今、闘病している方々にとって一旦見やすい形に整えておくのが良いかと思いましたので。
今では他人事のように昔の出来事でかなり記憶も摩耗しておりましたが、
自分のブログを読み返すと、まるで自分のことのように鮮明に思い返すことができました。
腫瘍が発覚する前症状から時系列で振り返ります。
2018年(腫瘍発覚まであと1年)
慢性腰痛に悩まさせる。
自宅近くの整骨院に見てもらったところ、典型的な反り腰であり、それが原因ではないか、とのこと。
はたして癌と関係があったのかは不明です。
2019年4月(腫瘍発覚まであと1ヶ月)
上腹部がポッコリした?ような気がした。なんとなく。
また、なんとなく倦怠感がありながらもそこまで深刻なものではなかった。
同時期、学会や婚活などで飲みの場が多く、多少の無理をしていた自覚はある。
発覚3週間前には、今まで感じたことのない「口渇感」があり、生まれてこの方初めて感じた初期症状はこれになります。
あくまで自己分析で、責任は取れませんが、口渇感の原因は腫瘍の圧排による腎動脈の狭窄が、RAA系の活性化を促進したことによるものと考えています。なので、後腹膜腫瘍特有(しかも腫瘍が腎動脈に及ぶ巨大腫瘍)特有の症状だと思います。
とにかく、特に午前中は水を1時間に1回は飲まないとやってられなかった。
また、あまり風邪を引かないことで有名な自分は、この頃に38度の熱を出しています。
発覚2週間前になると、夜中に2~3回おしっこで起きるようになります。
発覚1週間前になると、腰痛が悪化し立ちっぱなしが苦痛に感じるように。
食事量が落ち、排便は3日に1回の便秘状態。
決め手は、上腹部がぽっこりしたような違和感が気になり、試しに押してみたとき。
左右で硬さに違いがあることに気づき、これは体内でなにかが起こっているのかもしれない、という恐怖と冷や汗をかいたことを今でも覚えています。
2019年5月(腫瘍発覚)
発覚1日前には激しい頭痛で、病院に行くのもやっとでした(自宅から1kmもありませんが、当時タクシーを使いました)
血圧は170超で明らかな高血圧。
レントゲン、エコー、と検査を経て、最終的に造影CTにて腫瘍が発覚することになります。
自身が放射線技師でCT画像に見慣れているが故に、今まで見たこともないような巨大な腫瘍が腹部を覆い尽くしているのを目にした衝撃は、言葉にしがたいほど大きいものでした。
死を悟り、涙しました。
即日入院。入院先は、自身の職場でもあった湘南鎌倉総合病院です。
頭痛などの症状もあり、この日だけは一睡もできませんでした。
発覚翌日、まずは生検で腫瘍の一部を取り出し、腫瘍の分析をします。
結果が出るまで、自分は4日で済みましたが、本来はもう少し時間がかかるかもしれません。
生検を発覚翌日にできたのも、本来より速いペースでやらせてもらいました。
発覚4日目に精巣エコーの検査。
原発が性腺外とはいえ、胚細胞腫瘍には精巣エコーは必須みたいです。
幸い自分は、精巣には以上は認められません。
発覚5日目、生検結果にてここで初めて「胚細胞腫瘍」と診断されました。
それまでは、副腎系の病気なども疑われていました。
後腹膜胚細胞腫瘍の中でもいくつか種類がある中で、自分は卵黄嚢腫瘍というタイプに属するもので、胚細胞腫瘍の中では抗がん剤が聞きづらいものにあたります。
発覚8日目、これまで血圧管理のために常に腕に点滴をつなげていましたが、それが解除。
発覚11日目、初の外出。横浜市大医療センターにて凍結精子の保存を行います。
発覚12日目、長い長い抗がん剤治療がスタートします。
BEP治療という21日サイクル、4コースの治療が行われました。
(自分はこれだけでは治りませんでしたが、通常はこの4コースで抗がん剤治療は終了し、最後に手術という形になるのが一般的です)
基本的には最初の5日間に入院してガツンと抗がん剤を点滴して、数日休んで副作用が落ち着いたら退院。途中で2回だけ通院で抗がん剤を追加して終了。これを4周、といった流れです。この辺はご自身で調べてもらった方が正確でわかりやすいと思います。
副作用は様々ですが、自分の場合は吐き気や食欲不振に味覚障害といった食事系のものと骨髄抑制、体のだるさが強かったです。
また、1コース目限定ですが、発覚前からあった腰痛が悪化しました。
抗がん剤の効き始めで一時的に腫瘍サイズが大きくなることがあるそうで、それが神経を圧迫したことが考えられるそうです。
1コース目の14日目で自分は抜け毛を気にして坊主にしました。
とまあ、副作用や症状についていろいろ述べましたが、2コース目になると症状は落ち着き、しばらく暇が続きます。
当時の自分のブログの内容も闘病の人とは思えない内容のものばかりです。
2コース目の26日目で、静脈に沿うような黒ずみが腕中に出てきます。
恥ずかしながら初耳でしたが、静脈炎というそうで、これは抗がん剤中の一時的な症状でした。
2コース目の35日目(退院期間)。友達と横浜の脱出ゲームで遊びました。
楽しくて病気を忘れるほどでしたが、翌日ひどい腹痛で通院することに。
闘病期間は舞い上がってしまいますが、遊びは内容を考えてほどほどに。
3クール目は手のむくみが気になりだしますが問題なし。
4クール目は種々の副作用が今までよりもきつく感じるように。
当時のブログで当時の自分が心境を詳しく語っているので、そちらを参照ください。
また、手足のしびれる感覚をこの時初めて感じます。
BEP療法4コースが終了。腫瘍発覚から100日目。
ここで、本来であれば抗がん剤治療終了の予定だったのですが、腫瘍マーカー値が望ましい値まで低下を示さず(とはいえ200000から100まで低下したのですが)。
神奈川県立がんセンターへと場所を移し、より専門的な抗がん剤治療を開始することになります。後半戦という名の延長線に突入します。
腫瘍発覚から114日目。TIP療法という新たな抗がん剤治療が始まります。
当時のブログからもわかるように、この頃から更新頻度や文章量が減り、人への当たりが強くなります。だいぶストレスを感じているようです。
ブログ投稿に2ヶ月の空白期間がありました。
ブログのタイトルが「ごめんなさい生きてます」なのは、ブログ投稿が途切れたことで心配に思われた方に向けて言っています。
TIP療法は3コース、それでも良くならず抗がん剤を変えることに。
NI療法は1コースで終了しますが、それでも良くならず。
NIが終わった時点で、主治医から抗がん剤治療を中断して強行手術に踏み切るべきだと伝えられます。
本来は腫瘍マーカーが正常値まで下がってから手術するのが一般的ですが、自分の場合は追加の抗がん剤治療を経てもなおマーカー値が下がりきらず、骨髄抑制等の副作用が許容できないほどに体が弱っていることを加味して、そう判断されています。
あとは、完全にげんなりしていた自分を見て、色んな意味で限界だと思われた節もあるのではないかと、勝手に思っています。
強行手術は非常に賢明な判断だと思われましたが、当時の自分の気持としては、
「まだやれることがあるのなら、少しでも可能性があるなら、他の抗がん剤もチャレンジしたい」
という気持ちが強く、主治医の許可を経て、円満に、国立がんセンターのセカンドオピニオンを受けることになります。
国立がんセンターの先生も、神奈川県立がんセンターの主治医と同様の意見でしたが、
頑固な自分はそれでもなお抗がん剤治療を希望しました。
追加になったGOP療法は1コースを経て、主治医から「これ以上は本当に無理」と
文字通りのドクターストップにより、抗がん剤治療は終了しました。
体調回復のための休養期間を経て、
発覚から239日後、手術しました。
朗報は手術の前日。今まで一度も正常値まで下がることのなかった腫瘍マーカーが初めて正常値まで下がっていたのです。
単なる偶然の可能性もありますが、今までの努力が報われたような、なんとも感動的な劇を見ているようです。
術式は「後腹膜リンパ節郭清」。
手術時間は10時間が予想され、実際は7時間程度でした。
術後は術創との激戦は1週間ほど続きました。
中でも最初の3日間は意識が朦朧としながらも、術後の腸癒着を防ぐための歩行ノルマがあるため、地獄かと思いながらもクリアしました。
シャワーも浴びれず看護師に清拭してもらう始末。
しかし、1週間もするとすっかり歩けるようになり、無事退院することになりました。
その後は定期的な検査があるだけです。
数ヶ月に1回、採血と造影CTをします。
5年経った現在は、半年に1回。これからは年1回にまで頻度が減ることになっています。
現在残っている後遺症についてです。
まずは、四肢のしびれ(末梢神経障害)です。
特に足の裏のしびれは常につきまとっています。
リハビリや薬剤も検討しましたが、改善の望みは薄いらしく、一生付き合うことを受け入れざるを得ませんでした。
まあ、一度受け入れてしまえば、意外となんとかなっていると思います。
次に、無精子症があります。勃起、射精はできても、精子がそこに一つも含まれていない状態が、永続的に続きます。
数年で復活するケースもあるそうですが、自分の場合はそれも厳しいだろうという医師の見解です。
なので、もし今後子供がほしいとなった場合は、抗がん剤を始める前に採集した凍結精子を用いた体外受精となります。
自分は無精子症で済みましたが、ひどいと射精障害や勃起不全もあるそうで、その点自分は性的快感的な不自由には悩まされておりません。
大きな後遺症はこの2つくらいです。
髪がふさふさ生えてくることを期待していましたが、意外と伸びが途中で止まってしまうようになってしまいました。
最初はショックで抗がん剤のせいかと落ち込んでいましたが、
多分ただハゲが進行しただけです。
数年はこの事実を認めることはできませんでした。
しかし、なんでも病気のせいにしては良くないです。
ということで
このような流れを経て現在に至るのですが、
病の進行、治療の進行、副作用、後遺症、などは、各個人によって大きく異なる可能性を吟味する必要があります。
僕の経験を鵜呑みにせず、自らの身体的・精神的な反応にも注意して、
時間はあるので、慎重に省察し、医師や看護師の意見も取り入れ、
最良の選択、後悔のない選択、を選び続けることで、
克服の可能性を高めることはできると思っています。
逆に、対して調べたり考えたりせずに感情的な意見を押し通してしまうことによって
治るものも治らなくなる可能性についても、僕は当然あると考えます。
周りに攻撃的になる気持ち、治療に投げやりになる気持ち、諦めたくなる気持ち
治療中はネガティブな思考にどうしてもなってしまうと思いますが
それに負けずに立ち直ろうとする気持ちも自然と湧いてくるものだと感じました。
これは僕個人の感想ではなく、レジリエンスと呼ばれる現象で書籍にも紹介されております。
科学的根拠があるかと言われるとそこまで無いのかもしれませんが、
こんな気持ちが湧き出てきたら、それは自分を保つための貴重なエネルギーになると思っています。
そして、周りの協力なくしては治療を完遂することはできませんでした。
衛生的にも、精神的にも、胃袋的にも、経済的にも、多大な献身があったことで
ここまでがんばることができました。ありがとうございました。
さて、この投稿が同じ境遇の誰かに届き、一助となってくれることを楽しみにして
締めとさせていただきます。
どうか、ご自愛ください。
3ヶ月フォロー通過
大変お久しくございます。
前回、術後間もない地獄の時期に投稿してから時は流れ、気づけば4月も終わりを迎えようとしています。
術後1週間で息つく間もなく驚異のスピード退院。
術後2週間も経てば傷の痛みもすっかり収まりました。
治療だけと向かい合ってきた毎日から治療を必要としなくなった瞬間、燃え尽き症候群のような、何をすればいいのか、何もやる気が起きずに一日中ベッドで横になってゴロゴロすることも恥ずかしながら多かった、と。散歩とかの習慣をつけていればもう少し体力回復も早まったのではないかという後ろめたさも否定しきれませんが、頑張りすぎたしちょっとは楽しようということで。ブログも離れていました。
術後1ヶ月〜2ヶ月程度は筋力や体力が顕著に低下していることを、日常生活で実感せざるを得ない日々を送っていましたが、術後2ヶ月後から徐々に放射線技師の業務に復帰して体力をつけていきました。
今では手足の痺れがいろいろ不便ですが問題なく仕事できているのかなと思う次第でございます。
抗がん剤の神経障害による手足の痺れは、先生も表情を曇らせて「早く治るといいけどね」という感じです。痺れとは一生の付き合いになると予感しています。痺れているという感覚に麻痺してるので苦痛ではないです。痺れと腹部の術創は僕にとってむしろ生き抜いた証であり誇りにさえ思えます。自転車やカメラ、野球などのスポーツやゲームなどが思うようにできなくても、自分にとっての健康が維持できていれば楽しみはたくさん転がっているし、僕にとってそう悲観的になることじゃありません。治療を始めたときから、自由の代償としての覚悟として受け入れてるし。
射精機能は温存されていそうです。6月に横浜市大に精液検査出して通れば凍結精子も破棄できそうです。
あと先生から言われたのは「免疫が1年間は普通の人より落ちてるから」ということ。COVITとの関わり方は考えていかないと、と注意していますが、仕事はやっていきたい。復帰してすぐCOVIT感染して濃厚接触者を同僚に多発させる、なんて最悪のケースだけにはならないように...
復職届も提出し、5月からは晴れて正式な現場復帰。
もう二度と職場には戻れないという覚悟もしていたので、もう一度医療の現場で働けるこ静かに感動しています。
単純野党ですが、放射線治療という新しい分野にチャレンジしたいという希望を投げ、実現しそうな雰囲気です。がんセンターで入下院していた5F病棟は泌尿器科と頭頸部領域の科だったので、放射線治療を受けに行く患者を見ながら感じるものがあったし、うちの病院の放射線治療部門が増築に伴う強化が近いこと、ちょうどモダリティ交換の時期で希望が通りやすかったことなど...「神のお告げ」とも思わしき事象の偶然に、挑戦状を差し出した次第です。
先週は無事、3ヶ月フォローにてAFP、造影CT共に異常なしということでした。
これからはのブログはフォローごとの更新になるので頻度は減ります。
更新なくても、僕は毎日楽しく過ごしていますので!
(day242)術後経過
無事、手術は終わりました。
今は手術の傷の激痛と戦っています。
50~100mくらい歩けています。
手術は7時間で終わりました。
起きた時にはICUで、「痛いところは?」と聞かれました。
その時は神経管ブロックが効いていてお腹の痛みはほとんど感じませんでした。
手術が終わった日の夜はICUで過ごしました。
よく分からない痛みと喉の渇きなどで眠れませんでした。22時までは1時間ごとに担当の看護師が丁寧に面倒見てくれて助かりました。
朝になって、着替えてから病棟に移動。この時のICUの看護師はアホでした。苦しめられたけどその辺は今は思い出さない。
病棟移って初日は数メートルだけ歩いて、その後は痛みとの闘い。向かいの人が頭おかしくて夜中うるさすぎてこの日もほとんど寝られない。
術後2日目、午前中はどっと出た疲れで苦しみながらも死んだように眠る。のちに看護師から「あのときの水越くんは怖かった」と言われる。午後から気持ちを切り替えて50メートル程度歩く。少しずつ食事をとり始める。
そして今日、術後3日目。100メートル以上歩いた。ゆっくりと。ドレーンチューブ抜去。ご飯もしっかり食べれるようになる。排便はまだない。
とりあえず現状記録
(day238)手術前日
遂に明日は手術です。
術式は「後腹膜リンパ節郭清術」です。
が、大動脈などにくっついている腫瘍を剥離していく高難易度な手術になります。
加えて腫瘍マーカー(AFP)高値での手術は望ましくなく、「やむおえない手術」という位置付けの手術です。
故に、手術が無事に終わったとしてもがん細胞が体内に残っている確率は50%以上となっています。
正直ここまで追い込まれるとは思いもしませんでした。が、出来ることはやってきたので後悔はないと言ったら嘘になるけれども。僕はよく頑張った方です。手術はスタッフの皆さんにお任せして、良い結果を望みます。
手術は9時スタート。19時終了予定。
摘出細胞の結果が分かるのは2〜3週間かかるそうです。
昨日から低残渣食という、スープやお粥主体の食事になって、今日は絶食。
今日はマグコロールという下剤を飲みました。
また、手術後の物資として「紙おむつ」「腹帯」「すいのみ」を購入しました。
点滴も1日かけて落としています。
術後指導のビデオも見ます。腹式呼吸や体位変換、うがいや咳の仕方など…
こう羅列するといろいろあるようですが、手術前の入院期間はゆっくりと過ごすことができました。
やることは特に普段と変わりません。本を読む。YouTubeを見る。ゲームをする。
YouTubeには料理のチャンネルがたくさんあって、絶食中には驚異の飯テロとなります。
明日が手術だなんて、今でも想像できないです。
もし、明日麻酔で意識を失って、そのまま目が醒めることが無かったとしたら…と思って手術が怖くて仕方ない時期もありました。
しかし今は驚くほど心が安らかです。
おそらく術後は痛みや合併症に苦しめられるかもしれません。
苦しみは今夜寝て、翌朝また寝たら、意外とすぐやってくることを意識して、今はその前休憩だと言い聞かせています。
自分のこれまでの人生については、ここで述べるには足りないほどに、失敗続きで逃げてきて肝心なところでいつも負けてしまう不甲斐ないものでした。
もしもう一回生きる権利を獲得できたら、とにかく後悔しないような生き方を目指して動きたいです。
今回の闘病を通して、その「後悔しないやり方」を実践することが出来ました。なのである意味では、この病気は八方塞がりだった僕の人生を変えてくれるかもしれない「救世主」とも言えるのです。
さて、一人暮らしの闘病をここまで支えていただいた、職場の方々、湘南鎌倉の先生と看護師さん、お見舞いに来てくれた皆さん、神奈川がんセンターの先生と看護師さん、そして両親。皆さんにはこれまで本当にお世話になりました。今日も「手術がんばれ」とメッセージくれて嬉しいです。正直、手術中にどう頑張ればいいのか分かりません。でも、絶対に手術を無事に終えて、復活してみせます。ここまで来て負けるわけにはいかないのです。まだまだ生きたい。この世に未練を残して死にたくはない。
なので、明日で癌とはおさらばです。
よろしくお願いします。
【day223】手術の日程が決まりました。
2020年になりました。
病院なら兎も角、病室で年を越すことになるとは、それも癌で入院するなんて、去年の正月には思ってもみませんでした。謎のやる気と希望に満ち溢れていたのを覚えています。
実際2019年上半期はアクティブ&ポジティブな日々を送っていたので、今思えばあの時遊んでおいて良かったと思ってます。
いつ遊べなくなるかは誰にも分かんないからね!毎日楽しく過ごせる身体に感謝して思いっきり遊ぶんやで!(誰宛...?)
さて、手術の日程が決まりました。1/28です。
本来は腫瘍マーカーが正常化してから手術するのが一般的で、僕のように異常値のまま手術するのはなかなか異例でハイリスクなのですが。
先日お伝えしたGOP療法、クリスマスから頑張ってきたのですが、何の効果も得られませんでした...
骨髄抑制で今回も輸血をしてなんとか回復しましたが、これ以上抗がん剤を続けても身体がもたないし効果も期待できないことから、強行手術に踏み切ることとなりました。
GOPが奏功しなかった時は、悔しかったけど諦めずに戦う気持ちは保てています。
GOPまで挑戦できたことは、もし死の間際になって「ああすれば良かった」なんて思わずに、やれる治療は全て挑んだ、と胸を張って後悔せずに死ねるという意味でも良かったと思っています。
完治諦めたわけじゃないけどね!!なんか矛盾してるけどね!
強行手術の場合、症例が少なく正確なデータとは言えないものの、手術がうまく行く確率は多くて20%、取りきれない腫瘍が再発する確率が高いというように先生から伝えられています。
完治の確率が低いのは間違いないけれど、決してゼロではない以上は癌を克服したい気持ちはまだ変わらないです。
癌と正面から向かい合って、完治させて復職してこれまでの生活を取り戻したい!
最近、何度も「死」を意識するようになって(それはまだ近いような遠いような、ぼんやりしたものだけど)、「生」への意欲が強くなりました。
死にそうなときに「生きたい」と思う単純な生存欲求ももちろんそうだけど、「○○のために生きよう」とか「○○して生きたい」という気持ちと否応無く向かい合うことになるのですよね、必然的に。
僕みたいにボケーーーと生きてるもけもけ族とは違って、死への恐怖や周りへの影響を考えて落ち込んだまま立ち直れない人も中にはいるだろうし、僕だって余命1ヶ月とか言われたら怖くて怖気付いたまま死んでしまうかもしれないし正直分かりません。
ただ僕の中では癌になったことで意思は強くなったと思うし、身体が健康に戻れば今までよりも一生懸命に生きていける覚悟ができました。
周りの人の力になれる生き方こそ、自身の幸せになると信じて、今の気持ちを文字に残しています。周囲に合わせようとか考えず、その時最も自分がやりたいことができるように生きたいです。
幸いなことに、学生時代のつながりで、看護学生向けに講演ができる機会をいただいたので、自分のブログを見返したりして資料を作成しているところです。
1人でも心に刺さってくれるように誠意を持って、やりたいように作っています。
一度やりだすと終わりが分からなくなってしまう性分なので、1週間くらいでとりあえず完成させるとここで宣誓します。
(day204) ごめんなさい生きてます
たいへん久しぶりです。
5億年ぶりですかね(2ヶ月ぶり)。
全く更新されなかったので、「あれ?死んだん?」と思われた方…
ちゃんと生きてました。ごめんなさい更新しなくて。
意外としっかり見てもらってる人たちがいることにここ最近改めて思い知らされたので、そろそろ更新しないとな…とは思ってました。100回くらい。
前回の更新から状況は急速に変化しました。
TIP3クール目中が最後の更新でしたが、その後NI療法を1クール、骨髄抑制による緊急入院を経て、今はこれからGOP療法が始まろうとしています。
TIPは本来4コースやる予定が3コースで中止になったのは効き目が見られないと先生が判断した為。NIも同様の理由で1クールで中断。GOPも1クールやってみて奏功なければすぐに中断して、手術を強行することになります。
情報量多すぎ蓮なので1つずつ解説しよう。
TIPはしんどうございました。BEP4クールやった後は体力も知らず知らずに削られてて、副作用が強い時期は毎度、地蔵モードを発動して時間が過ぎるのをただ無心で待つ地獄の数日間でした。地獄の体感時間が長すぎて月読かと思いました(72時間)。
NIもしんどうございました。TIP終わった頃には足の痺れにより片杖おじさんになっており、日常動作にも体力を奪われるようになってきました。初めてしっかり吐きました。「吐いたら楽になった〜飲み会と一緒やん?」と思ったら1時間後にはしっかり気持ち悪さが再来。
NIの大きな副作用は「下痢」と「骨髄抑制」らしく、下痢はほぼ無かったものの骨髄抑制が強く、退院から1週間後の採血でHb6,000で要輸血判定あり緊急入院となりました。4日間輸血をして貧血は改善。しかし血小板も低下により同様に輸血。血小板も戻ったと思ったら好中球35で感染注意報が発令、無菌室管理…そうこうしてたら結局2週間も入院していて、暇つぶしにスマホゲームをしていたら伝説のデュエリストになっていました。
この緊急入院期間中に、先生から「抗がん剤はもう期待しずらい。抗がん剤は諦めて早めに手術するのをお勧めする」と宣告(超要約してるけどめちゃくちゃ丁寧に説明してくれてます)。まあつまり、どちらを選ぶにしろ完治する確率は少ないわけだけど、どういう治療がいい?という感じ。先生が分からないのに僕にどちらの選択が良いのか判るわけもなく、かといって適当に楽な方を安易に選んだら、完治しなかったときに後悔すること不可避なのは容易に想像できたので、築地の国立がんセンターのセカンドオピニオンを相談しました。後悔しない選択の為に出来る事はやっておこう、と。
緊急入院から退院したその足で二俣川から築地へ強気の電車移動。国立の先生の意見を聞いて、まあ結局神奈川と説明された事は勿論殆ど変わらないものの、自分の思考を再確認できたので44,000円の価値はありました(PS4買いたかった…)。
神奈川に戻り、先生との診察で「痺れが残って一生歩けなくなってマウスやキーボードが使えなくても、少しでも完治して長生きできる確率が高い選択がしたい。それでも手術の方が完治できると先生の経験や直感があるならば、僕は自信を持って即手術に踏み切れます。完治を目指す為に妥協や後悔はしたくないです。犠牲は厭いません。」と、我ながら主張の強い発言を辿々しくもはっきりと伝えたところ、先生は僕の気持ちを汲み取ってくれたのか、そこで初めて、手術する気満々だった先生から「そこまで覚悟があるなら抗がん剤がんばろう」とスッキリした顔で鼓舞してくれました。今まで頑張ってきて良かったな、と思いました。
そして、明日からGOPが始まります。
概ね絶望的な状況に傾いている現在、未だ諦めずに治療に尽力できるのは、周りの協力があったからだと、今改めて思います。
がんが発覚してからすぐに心配して駆けつけてくれた同僚、友達、家族。心配を漏らす度に会いに来てくれて、ご飯をご馳走になったり、通院の送り迎えまで自ら請け負ったり…
これだけの優しさがなければ、きっと途中で諦めていたでしょう。だからここまで元気なのは皆さんのおかげです。この人達がいてくれる限り、しばらく僕は全力で治療に取り組めるでしょう。
改めて、この命ある限りは周りの大切な人達の為にありたいと思います。
ここ最近の混沌とした感情はこれから少しずつブログに整理できればと思います。
本日はこれにて。
(day136)TIP2クール目2日目
遅くなりましたが、一昨日から入院しています。
FN症状もなく、予定通りの日程で無事TIP2クール目に突入することになりました。
正直これ以上の抗がん剤は身体がそろそろ悲鳴を上げそうな予感がするというか弱気です。
とはいえAFPが正常に戻ってくれないと基本的に手術できず、抗がん剤の3rd lineに踏み込んでしまいます。それは避けたい(手術も嫌だけど)。現在のAFPは30~50で前後しています。正常値10まで近いような遠いような。最初は210,000という肝をつぶすような高い値だったのが、残り数十まで下がりましたが、そこから正常値まで戻すのが難航する難治性の難しい場面に直面しています。
話は変わりますが、入院する時に満員の電車で来るときに戸塚駅で降りる人達に押されて前から転倒してしまいました。体に怪我がなかったのが救いですが、MacBook Proが壊れてしまいました(一年目に奮発して15万で買った想い出かつ闘病生活の必須品)。
この事について思うことや愚痴をまた徒然なるまで打ち込んでいたのですが、慣れないスマホ版のはてなブログに戸惑いデータを間違えて消去してしまったようです。笑
最近悪いことが続いてイライラが制御できてない自覚があるので、はてなから抑えろとお叱りを受けたのだと思います。
ということで、今は入院中なので楽しみらしい楽しみもなかなか見つかりませんが、というか退院しても骨髄抑制強くて外に出れませんがそれなりの楽しみを見つけてメンタル保てるように努力していきたいと思います。
体調はまだ大丈夫です。熱が37.2℃あります。パクリタキセルの筋肉関節痛の兆しが差し込んできました。なんとなく食欲が無くなってきました。前回より兆候が1日前乗りしてきてますが多分大丈夫です。
後半は死んだように寝て時間を潰しているので(何もやる気が起きない)お見舞いは遠慮させていただいてます。お気持ちは嬉しいのですが…