3ヶ月フォロー通過

大変お久しくございます。

 

前回、術後間もない地獄の時期に投稿してから時は流れ、気づけば4月も終わりを迎えようとしています。

 

術後1週間で息つく間もなく驚異のスピード退院。

術後2週間も経てば傷の痛みもすっかり収まりました。

治療だけと向かい合ってきた毎日から治療を必要としなくなった瞬間、燃え尽き症候群のような、何をすればいいのか、何もやる気が起きずに一日中ベッドで横になってゴロゴロすることも恥ずかしながら多かった、と。散歩とかの習慣をつけていればもう少し体力回復も早まったのではないかという後ろめたさも否定しきれませんが、頑張りすぎたしちょっとは楽しようということで。ブログも離れていました。

術後1ヶ月〜2ヶ月程度は筋力や体力が顕著に低下していることを、日常生活で実感せざるを得ない日々を送っていましたが、術後2ヶ月後から徐々に放射線技師の業務に復帰して体力をつけていきました。

 

 

 

 

 

 

 

今では手足の痺れがいろいろ不便ですが問題なく仕事できているのかなと思う次第でございます。

抗がん剤の神経障害による手足の痺れは、先生も表情を曇らせて「早く治るといいけどね」という感じです。痺れとは一生の付き合いになると予感しています。痺れているという感覚に麻痺してるので苦痛ではないです。痺れと腹部の術創は僕にとってむしろ生き抜いた証であり誇りにさえ思えます。自転車やカメラ、野球などのスポーツやゲームなどが思うようにできなくても、自分にとっての健康が維持できていれば楽しみはたくさん転がっているし、僕にとってそう悲観的になることじゃありません。治療を始めたときから、自由の代償としての覚悟として受け入れてるし。

射精機能は温存されていそうです。6月に横浜市大に精液検査出して通れば凍結精子も破棄できそうです。

あと先生から言われたのは「免疫が1年間は普通の人より落ちてるから」ということ。COVITとの関わり方は考えていかないと、と注意していますが、仕事はやっていきたい。復帰してすぐCOVIT感染して濃厚接触者を同僚に多発させる、なんて最悪のケースだけにはならないように...

 

復職届も提出し、5月からは晴れて正式な現場復帰。

もう二度と職場には戻れないという覚悟もしていたので、もう一度医療の現場で働けるこ静かに感動しています。

単純野党ですが、放射線治療という新しい分野にチャレンジしたいという希望を投げ、実現しそうな雰囲気です。がんセンターで入下院していた5F病棟は泌尿器科と頭頸部領域の科だったので、放射線治療を受けに行く患者を見ながら感じるものがあったし、うちの病院の放射線治療部門が増築に伴う強化が近いこと、ちょうどモダリティ交換の時期で希望が通りやすかったことなど...「神のお告げ」とも思わしき事象の偶然に、挑戦状を差し出した次第です。

 

先週は無事、3ヶ月フォローにてAFP、造影CT共に異常なしということでした。

 

これからはのブログはフォローごとの更新になるので頻度は減ります。

更新なくても、僕は毎日楽しく過ごしていますので!

(day242)術後経過

無事、手術は終わりました。

今は手術の傷の激痛と戦っています。

50~100mくらい歩けています。

 

手術は7時間で終わりました。

起きた時にはICUで、「痛いところは?」と聞かれました。

その時は神経管ブロックが効いていてお腹の痛みはほとんど感じませんでした。

手術が終わった日の夜はICUで過ごしました。

よく分からない痛みと喉の渇きなどで眠れませんでした。22時までは1時間ごとに担当の看護師が丁寧に面倒見てくれて助かりました。

朝になって、着替えてから病棟に移動。この時のICUの看護師はアホでした。苦しめられたけどその辺は今は思い出さない。

病棟移って初日は数メートルだけ歩いて、その後は痛みとの闘い。向かいの人が頭おかしくて夜中うるさすぎてこの日もほとんど寝られない。

術後2日目、午前中はどっと出た疲れで苦しみながらも死んだように眠る。のちに看護師から「あのときの水越くんは怖かった」と言われる。午後から気持ちを切り替えて50メートル程度歩く。少しずつ食事をとり始める。

そして今日、術後3日目。100メートル以上歩いた。ゆっくりと。ドレーンチューブ抜去。ご飯もしっかり食べれるようになる。排便はまだない。

 

 

 

とりあえず現状記録

(day238)手術前日

遂に明日は手術です。

術式は「後腹膜リンパ節郭清術」です。

が、大動脈などにくっついている腫瘍を剥離していく高難易度な手術になります。

加えて腫瘍マーカー(AFP)高値での手術は望ましくなく、「やむおえない手術」という位置付けの手術です。

故に、手術が無事に終わったとしてもがん細胞が体内に残っている確率は50%以上となっています。

正直ここまで追い込まれるとは思いもしませんでした。が、出来ることはやってきたので後悔はないと言ったら嘘になるけれども。僕はよく頑張った方です。手術はスタッフの皆さんにお任せして、良い結果を望みます。

手術は9時スタート。19時終了予定。

摘出細胞の結果が分かるのは2〜3週間かかるそうです。

 

 

昨日から低残渣食という、スープやお粥主体の食事になって、今日は絶食。

今日はマグコロールという下剤を飲みました。

また、手術後の物資として「紙おむつ」「腹帯」「すいのみ」を購入しました。

点滴も1日かけて落としています。

術後指導のビデオも見ます。腹式呼吸体位変換、うがいや咳の仕方など…

こう羅列するといろいろあるようですが、手術前の入院期間はゆっくりと過ごすことができました。

やることは特に普段と変わりません。本を読む。YouTubeを見る。ゲームをする。

YouTubeには料理のチャンネルがたくさんあって、絶食中には驚異の飯テロとなります。

明日が手術だなんて、今でも想像できないです。

もし、明日麻酔で意識を失って、そのまま目が醒めることが無かったとしたら…と思って手術が怖くて仕方ない時期もありました。

しかし今は驚くほど心が安らかです。

おそらく術後は痛みや合併症に苦しめられるかもしれません。

苦しみは今夜寝て、翌朝また寝たら、意外とすぐやってくることを意識して、今はその前休憩だと言い聞かせています。

 

 

自分のこれまでの人生については、ここで述べるには足りないほどに、失敗続きで逃げてきて肝心なところでいつも負けてしまう不甲斐ないものでした。

もしもう一回生きる権利を獲得できたら、とにかく後悔しないような生き方を目指して動きたいです。

今回の闘病を通して、その「後悔しないやり方」を実践することが出来ました。なのである意味では、この病気は八方塞がりだった僕の人生を変えてくれるかもしれない「救世主」とも言えるのです。

 

 

さて、一人暮らしの闘病をここまで支えていただいた、職場の方々、湘南鎌倉の先生と看護師さん、お見舞いに来てくれた皆さん、神奈川がんセンターの先生と看護師さん、そして両親。皆さんにはこれまで本当にお世話になりました。今日も「手術がんばれ」とメッセージくれて嬉しいです。正直、手術中にどう頑張ればいいのか分かりません。でも、絶対に手術を無事に終えて、復活してみせます。ここまで来て負けるわけにはいかないのです。まだまだ生きたい。この世に未練を残して死にたくはない。

 

なので、明日で癌とはおさらばです。

よろしくお願いします。

【day223】手術の日程が決まりました。

2020年になりました。

病院なら兎も角、病室で年を越すことになるとは、それも癌で入院するなんて、去年の正月には思ってもみませんでした。謎のやる気と希望に満ち溢れていたのを覚えています。

実際2019年上半期はアクティブ&ポジティブな日々を送っていたので、今思えばあの時遊んでおいて良かったと思ってます。

いつ遊べなくなるかは誰にも分かんないからね!毎日楽しく過ごせる身体に感謝して思いっきり遊ぶんやで!(誰宛...?)

 

 

 

さて、手術の日程が決まりました。1/28です。

本来は腫瘍マーカーが正常化してから手術するのが一般的で、僕のように異常値のまま手術するのはなかなか異例でハイリスクなのですが。

先日お伝えしたGOP療法、クリスマスから頑張ってきたのですが、何の効果も得られませんでした...

骨髄抑制で今回も輸血をしてなんとか回復しましたが、これ以上抗がん剤を続けても身体がもたないし効果も期待できないことから、強行手術に踏み切ることとなりました。

GOPが奏功しなかった時は、悔しかったけど諦めずに戦う気持ちは保てています。

GOPまで挑戦できたことは、もし死の間際になって「ああすれば良かった」なんて思わずに、やれる治療は全て挑んだ、と胸を張って後悔せずに死ねるという意味でも良かったと思っています。

完治諦めたわけじゃないけどね!!なんか矛盾してるけどね!

 

強行手術の場合、症例が少なく正確なデータとは言えないものの、手術がうまく行く確率は多くて20%、取りきれない腫瘍が再発する確率が高いというように先生から伝えられています。

完治の確率が低いのは間違いないけれど、決してゼロではない以上は癌を克服したい気持ちはまだ変わらないです。

癌と正面から向かい合って、完治させて復職してこれまでの生活を取り戻したい!

 

最近、何度も「死」を意識するようになって(それはまだ近いような遠いような、ぼんやりしたものだけど)、「生」への意欲が強くなりました。

死にそうなときに「生きたい」と思う単純な生存欲求ももちろんそうだけど、「○○のために生きよう」とか「○○して生きたい」という気持ちと否応無く向かい合うことになるのですよね、必然的に。

僕みたいにボケーーーと生きてるもけもけ族とは違って、死への恐怖や周りへの影響を考えて落ち込んだまま立ち直れない人も中にはいるだろうし、僕だって余命1ヶ月とか言われたら怖くて怖気付いたまま死んでしまうかもしれないし正直分かりません。

ただ僕の中では癌になったことで意思は強くなったと思うし、身体が健康に戻れば今までよりも一生懸命に生きていける覚悟ができました。

周りの人の力になれる生き方こそ、自身の幸せになると信じて、今の気持ちを文字に残しています。周囲に合わせようとか考えず、その時最も自分がやりたいことができるように生きたいです。

 

幸いなことに、学生時代のつながりで、看護学生向けに講演ができる機会をいただいたので、自分のブログを見返したりして資料を作成しているところです。

1人でも心に刺さってくれるように誠意を持って、やりたいように作っています。

一度やりだすと終わりが分からなくなってしまう性分なので、1週間くらいでとりあえず完成させるとここで宣誓します。

 

 

(day204) ごめんなさい生きてます

たいへん久しぶりです。

5億年ぶりですかね(2ヶ月ぶり)。

 

全く更新されなかったので、「あれ?死んだん?」と思われた方…

ちゃんと生きてました。ごめんなさい更新しなくて。

意外としっかり見てもらってる人たちがいることにここ最近改めて思い知らされたので、そろそろ更新しないとな…とは思ってました。100回くらい。

 

前回の更新から状況は急速に変化しました。

TIP3クール目中が最後の更新でしたが、その後NI療法を1クール、骨髄抑制による緊急入院を経て、今はこれからGOP療法が始まろうとしています。

TIPは本来4コースやる予定が3コースで中止になったのは効き目が見られないと先生が判断した為。NIも同様の理由で1クールで中断。GOPも1クールやってみて奏功なければすぐに中断して、手術を強行することになります。

 

情報量多すぎ蓮なので1つずつ解説しよう。

 

TIPはしんどうございました。BEP4クールやった後は体力も知らず知らずに削られてて、副作用が強い時期は毎度、地蔵モードを発動して時間が過ぎるのをただ無心で待つ地獄の数日間でした。地獄の体感時間が長すぎて月読かと思いました(72時間)。

NIもしんどうございました。TIP終わった頃には足の痺れにより片杖おじさんになっており、日常動作にも体力を奪われるようになってきました。初めてしっかり吐きました。「吐いたら楽になった〜飲み会と一緒やん?」と思ったら1時間後にはしっかり気持ち悪さが再来。

NIの大きな副作用は「下痢」と「骨髄抑制」らしく、下痢はほぼ無かったものの骨髄抑制が強く、退院から1週間後の採血でHb6,000で要輸血判定あり緊急入院となりました。4日間輸血をして貧血は改善。しかし血小板も低下により同様に輸血。血小板も戻ったと思ったら好中球35で感染注意報が発令、無菌室管理…そうこうしてたら結局2週間も入院していて、暇つぶしにスマホゲームをしていたら伝説のデュエリストになっていました。

この緊急入院期間中に、先生から「抗がん剤はもう期待しずらい。抗がん剤は諦めて早めに手術するのをお勧めする」と宣告(超要約してるけどめちゃくちゃ丁寧に説明してくれてます)。まあつまり、どちらを選ぶにしろ完治する確率は少ないわけだけど、どういう治療がいい?という感じ。先生が分からないのに僕にどちらの選択が良いのか判るわけもなく、かといって適当に楽な方を安易に選んだら、完治しなかったときに後悔すること不可避なのは容易に想像できたので、築地の国立がんセンターセカンドオピニオンを相談しました。後悔しない選択の為に出来る事はやっておこう、と。

緊急入院から退院したその足で二俣川から築地へ強気の電車移動。国立の先生の意見を聞いて、まあ結局神奈川と説明された事は勿論殆ど変わらないものの、自分の思考を再確認できたので44,000円の価値はありました(PS4買いたかった…)。

神奈川に戻り、先生との診察で「痺れが残って一生歩けなくなってマウスやキーボードが使えなくても、少しでも完治して長生きできる確率が高い選択がしたい。それでも手術の方が完治できると先生の経験や直感があるならば、僕は自信を持って即手術に踏み切れます。完治を目指す為に妥協や後悔はしたくないです。犠牲は厭いません。」と、我ながら主張の強い発言を辿々しくもはっきりと伝えたところ、先生は僕の気持ちを汲み取ってくれたのか、そこで初めて、手術する気満々だった先生から「そこまで覚悟があるなら抗がん剤がんばろう」とスッキリした顔で鼓舞してくれました。今まで頑張ってきて良かったな、と思いました。

 

そして、明日からGOPが始まります。

概ね絶望的な状況に傾いている現在、未だ諦めずに治療に尽力できるのは、周りの協力があったからだと、今改めて思います。

がんが発覚してからすぐに心配して駆けつけてくれた同僚、友達、家族。心配を漏らす度に会いに来てくれて、ご飯をご馳走になったり、通院の送り迎えまで自ら請け負ったり…

これだけの優しさがなければ、きっと途中で諦めていたでしょう。だからここまで元気なのは皆さんのおかげです。この人達がいてくれる限り、しばらく僕は全力で治療に取り組めるでしょう。

改めて、この命ある限りは周りの大切な人達の為にありたいと思います。

 

ここ最近の混沌とした感情はこれから少しずつブログに整理できればと思います。

本日はこれにて。

(day136)TIP2クール目2日目

遅くなりましたが、一昨日から入院しています。

FN症状もなく、予定通りの日程で無事TIP2クール目に突入することになりました。

正直これ以上の抗がん剤は身体がそろそろ悲鳴を上げそうな予感がするというか弱気です。

とはいえAFPが正常に戻ってくれないと基本的に手術できず、抗がん剤の3rd lineに踏み込んでしまいます。それは避けたい(手術も嫌だけど)。現在のAFPは30~50で前後しています。正常値10まで近いような遠いような。最初は210,000という肝をつぶすような高い値だったのが、残り数十まで下がりましたが、そこから正常値まで戻すのが難航する難治性の難しい場面に直面しています。

 

話は変わりますが、入院する時に満員の電車で来るときに戸塚駅で降りる人達に押されて前から転倒してしまいました。体に怪我がなかったのが救いですが、MacBook Proが壊れてしまいました(一年目に奮発して15万で買った想い出かつ闘病生活の必須品)。

この事について思うことや愚痴をまた徒然なるまで打ち込んでいたのですが、慣れないスマホ版のはてなブログに戸惑いデータを間違えて消去してしまったようです。笑

最近悪いことが続いてイライラが制御できてない自覚があるので、はてなから抑えろとお叱りを受けたのだと思います。

 

ということで、今は入院中なので楽しみらしい楽しみもなかなか見つかりませんが、というか退院しても骨髄抑制強くて外に出れませんがそれなりの楽しみを見つけてメンタル保てるように努力していきたいと思います。

体調はまだ大丈夫です。熱が37.2℃あります。パクリタキセルの筋肉関節痛の兆しが差し込んできました。なんとなく食欲が無くなってきました。前回より兆候が1日前乗りしてきてますが多分大丈夫です。

後半は死んだように寝て時間を潰しているので(何もやる気が起きない)お見舞いは遠慮させていただいてます。お気持ちは嬉しいのですが…

 

 

(day128)散々な1日

今日はブルーな一日だったので、僕が悪いところもあったかもしれませんが愚痴を言わせてください。

前回の採血(金曜日)から時は経ち、吐き気のような気持ち悪さは解消し、倦怠感も改善したので大好きなコーヒーを解禁しました。

足の痺れは依然残っており(筋肉痛は解消したけど)、少し歩いたり、夜寝る前とかに悪化する傾向があります。

味覚も戻ってきたので職場の人をご飯に誘おうか考えることもありますが、最近は人に会わないと気持ちが落ち込むみたいなことは無く、精神が安定してきたようです。笑

家に閉じこもってゲームや勉強や読書をしている方が身体に負担かけないし十分楽しめる人間なのでそうしてます。陰の要素が急激に頭角を現してきたようです。笑

 

7日(月曜日)に採血がありました。ここで白血球が1000,好中球が70まで減少していました。例によってフィルグラスチム(G-CSF)を注射するのか、くらいに思っていました。岸田先生はいらっしゃらないので替わりの先生の診察を受けます。診察室に入ると、その先生は採血結果を説明された後に「入院した方が無難ですね」と伝えられます。その時の僕にとって「入院」は予想外の一言で、今日このままいきなり入院するのは準備ができていなかったので「入院しないって選択肢はありですが?」と質問すると、「まあ熱出たら大変だし入院した方が無難ですよね」くらいしか言われなかったので「家で安静にしてますので」と言って帰宅しました。

 

で、昨日はフィルグラスチムだけ注射して帰宅。

 

そして今日、採血をしていつも通り岸田先生の診察を待ちます。3時間経っても呼ばれないので「いつもより遅いけど病院だし仕方ないな」くらいに思いながら、持参したパソコンで勉強やゲームをして時間を潰していました。

しばらくすると事務の方がいらして、「岸田先生は手術中ですのでもうしばらくお待ちください」と一言声をかけてすぐに戻って行きました。

3時間待ちは全然仕方ないし先生が手術ならなおさらいた仕方ない。遅くなることを伝えていただけるのはありがたい事なのは間違いない。けど、「すみません」の一言もないとなると「親切にありがとう」よりも「伝えればいくら待たせても問題ないと思っとるん?」が勝つのが分からないのかなこの人は。と思ってしまいます。

「大変お待たせして本当に申し訳ありません。ご用事はありませんでしたか?」くらい丁重に陳謝して、せめて目線は合わせて、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。くらいでいい塩梅だと思うのですが、これは果たしてやりすぎでしょうか?

と、複雑な気持ちになったところでお腹も減ったのでコンビニでカレードリアを購入してレンジで温めていると呼び出し機が鳴り出したので、タイミングが悪いなあと思いながら急いで診察室に向かいます。

 

診察室に入ると手術直後で疲弊している様子が一目でわかる岸田先生がいらっしゃったので「手術おつかれさまでした」とねぎらいの気持ちを込めて挨拶したのですが、先生はどうやら機嫌が悪く、僕に対して怒っている様子でした。先生(病院側)の主張としては①病院が入院を強く勧めたにも関わらず本人はこちらの主張を無視し入院を拒絶した②予約時間を全く守ろうとしないので困っている。という2点で、電子カルテに赤文字で記載されていることが僕からも確認できました。ブラックリスト入りの要注意人物扱いされていると言って間違いありませんでした。

①に関しては、僕の注意が散漫というか勉強不足というか危機感がなかったところもあると思います。後々調べてみると、発熱性好中球減少症のガイドラインに食治療の基準が「500/μL以下」と記載があり、70がその基準を十分に満たしているようです。もちろん、この事実を知っていれば当日ないし翌日までには絶対に入院していました。これは僕の勉強不足にも原因があります(自分の身を守るのは最後は結局自分)ですが、「入院が無難」と言っただけで強く入院を勧めたなんて、あまりに説明不足で先生の勤務怠惰か責任感の欠如と思ってしまうのですが。

そして、②「外来の予約時間を守らない」と思われてますが飛んだとんだとばっちりを受けました。「午後からでもいいですか?」と聞いて「いつでもいい」と言われたから午後に来ただけです。4時間待たされた挙句、怒られて悪者扱いされるのはとばっちりです。そもそも毎回予約表も渡されなければ、特に時間の指定も伝えられないのもおかしいと思いますけど。その辺はこちらから(わざわざ)聞いておかなければならないということもあるかもしれませんけど。

とにかく、なぜか悪者扱いされて「病院に協力せず治療に消極的」な要注意悪者人物としてカルテに赤太文字で記録されてしまったことが、今後のスタッフとの関わりの中で生じる影響とか考えると、非常に悲しい気持ちになります。僕自身の身体の問題だから治療のモチベーションは変わらないとしても、スタッフへの不信感はそう簡単に消えません。

 

とりあえず、今考えたことは①カルテ開示申請と②先生との会話の録音です。

ここまで言われると、普段カルテに何を書かれているのか不安で仕方ないので次回の来院で申請します。

会話は無断録音は違法でないにしてもプライバシーの配慮で先生に一言かけてから、ということになると思いますが、もともと勉強用にボイスレコーダーは欲しいと思ってたところでちょうどいいなと思ってamazonポチりました。笑

 

本気で

「何事にも自分の身を守れる一人は自分自身」

だと実感した事件でした。

 

これまで以上に日々勉強と健康管理に注意します。