(day19)僕の胚細胞腫瘍が発覚してから治療に至るまでの症状、検査などの経緯
2019年5月24日。造影CTにて左上腹部に大きさ15cmほどの巨大腫瘤が見つかりました。
しかし、この段階ではまだ「腫瘍」ということしか判明しておらず、「胚細胞腫瘍」と決まったわけではないのです。
正直、病名が分からない時期は不安で仕方なかったです。
ということで、造影CTで発覚し、胚細胞腫瘍という診断が下り、治療に至るまでの経緯を時系列でまとめていきます。
癌が見つかってから治療に至るまで
発覚当日【早速入院。不安で夜も眠れず。血圧管理の点滴確保。】
造影CTの結果、腫瘤があることは分かったものの、腫瘍が大きく腎臓、副腎、リンパ節のどこ由来の腫瘍なのかはCTだけでは分かりませんでした。
この時点で疑われた病気は、
など様々でした。
このような巨大な後腹膜腫瘍自体がレアであり、1年4ヶ月バリバリCTを撮り続けた自分も見たことない腫瘍に唯々驚きました。ただ、「死が近づいているのではないか」という大きな不安を抱えたまま、入院します。
血圧は180台。血圧管理のための点滴が投与されます(ニカルジピン4ml/h)。
不安で一睡もできません。
発覚翌日【針生検。採血結果で胚細胞腫瘍の腫瘍マーカー以上高値発覚】
CTガイド下針生検へ。最近までここで仕事してたのに、まさか自分が刺される側になるなんて思いもしません。
信頼できる先生と親切な先輩方が迎え入れてくれました。手を振って笑顔で応える僕ですが、不安の方が大きくてまともに会話はできていません。
生検は最初に麻酔をして、本番の針を刺していきます。CTを何回か撮りながら針と腫瘍の位置関係を確認し、適切な位置で細胞を採取します。
驚くほど痛みは無かったです。検査は30分強で終わりました。
褐色細胞腫の場合、腫瘍を刺激すると血圧が急上昇するというリスクを抱えての検査でしたが、何事もなく無事に検査は終わりました。
検査後、ストレッチャーにて病室に移動しベッドに移りました。
この後、3時間のベッド上安静を指示されています。これが辛かった。
背中に張るような違和感。頻繁に訪れる腰の痛み。高血圧による激しい頭痛。
トイレに行こうにも動けないので、横向きになって尿瓶で用を足します。
蓄尿も開始。全ての尿は尿便に溜めるようにして、検査に出されます。
血圧は生検後180台。夜には140台に。
夜間も頭痛で眠れませんでした。
この日、採血結果が出て、AFP21万。胚細胞腫瘍の腫瘍マーカーであり、異常な高い値を示しています。しかし、生検結果が分かるまでは診断名を確定できません。
ちなみに21万という値は、何名かのブログを拝見しましたがかなり高い値だと思われます。
腫瘍マーカー異常高値について知らされたのは、生検結果が知らされた日でした。
ある程度の証拠を集めるまでは不用意な宣告はしないということでしょう。
発覚2日目【退院試みるも血圧管理に難渋。】
生検の結果が出るまで1〜2週間かかるようで、治療までに一度退院できるように血圧管理の点滴(ニカルジピン)の量を減らしました。
しかし、また血圧は170台まで上昇。結局量は元に戻しました。
頭痛も持続していたため、頭部CT・MRI検査を受けることに。
特に出血などの病変は認められず、除外されました。
血圧管理の飲み薬(アムロジピン)が追加されました。
発覚3日目【血圧管理の点滴量減り始める。頭痛も減少】
蓄尿したら、1日の尿量が4700mLでした。正常の2~3倍くらいの量ですね。
退院するまでの間、尿量は毎日これくらいです。夜は少なくとも5回以上はトイレで起きてます。寝れても2時間弱で起きますね。
この日も血圧が130台で落ち着いてきたので血圧管理点滴の量を下げて様子をみます。
頭痛も落ち着き、食欲も復活しましたが、夜間尿や喉の渇きは以前に増している印象でした。
発覚4日目【精巣エコー。】
胚細胞腫瘍は精巣が原発の場合と、精巣以外が原発の場合があります。
どちらかを調べるための精巣エコーですね。
精巣原発なら一時的に精巣が腫れると言った症状があるみたいです。
僕は身に覚えがなかったですし、実際の検査も異常は認められませんでした。
発覚5日目【生検結果が早くも分かる。小さな希望が生まれる。】
1週間も経たずに生検結果が伝えられました。僕が医療職で職場で診てもらっていたからかもしれません。
結果ですが、胚細胞腫瘍という診断をここで初めて伝えられます。
悪性腫瘍であることは間違いないです。
が、予想された疾患の中では、化学療法で完治が目指せる癌という希望の持てるタイプだったのです。
今まで、何の病気かわからなかったモヤモヤが晴れ、治療方針が明確になったこと、「完治する可能性がある」という先生の言葉に、少しの希望が持て、元気を取り戻しました。
ちなみに、胚細胞腫瘍の中でも種類があって、僕は卵黄嚢腫瘍というタイプでした。
胚細胞腫瘍の中では予後の悪い種類でした。
あと、これは余談ですが、胚細胞腫瘍は僕みたいにお腹にできる人もいれば、精巣原発の人、心臓の周りにできる人もいますし、頭にできる人もいます。発生部位によって予後も変わってくるようです。
発覚6日目【未だ点滴中。血圧管理が課題】
血圧管理の飲み薬の種類が増えました(オルメサルタン)。
発覚7日目【減塩食開始。】
高血圧のため、減塩食が始まりました。
とは言っても元々病院食は薄味で塩分抑えてるから違いがよくわかりませんでした。
夜間尿以外の症状はすっかり収まりました。
発覚8日目【ついに点滴解除。】
今までは血圧を点滴と錠剤で管理しましたが、点滴の薬を辞め、錠剤だけで管理するようになりました。
点滴がないと、ストレスはだいぶ軽減します。特にトイレに行く度に、点滴がないと身軽だなあと感心していました。
発覚9日目【横浜市大の精子凍結治療待ち。】
抗がん剤治療は永久不妊のリスクがあります。僕は男なので精子が作られなくなる可能性があるということです。
なので、治療が始まる前の元気な精子を凍結保存して将来に備えることが勧められます。
精子凍結は保険適応外であり、行っている病院も限られています。
たまたま近くの横浜市大がやっていたのですが、土日は予約できないので月曜日までは病室待機となりました。
そういえば一旦退院という話はフェードアウトしてました。というか、生検結果が出るのが迅速すぎました。笑
本当に感謝です。
発覚10日目【静かに待機。】
この日も病室で大人しく待機でした。
発覚11日目【外出。横浜市大で精子凍結】
久しぶりの外です。湘南鎌倉から横浜市大へは、バスと電車、徒歩でだいたい1時間。車をお願いしても良かったのですが、コンディションも良かったし頑張って電車で行くことに。
しかし、満員電車はやはりきつかった。無理せず車をお願いすべきでした。
なんとか横浜市大に到着。
はじめに問診票が渡されました。結婚する予定や彼女というものが長らく不在だったもので、記入時間は1/2で済みました。笑
先生の診察へ。紹介ではあったものの、こちらの先生も僕の現状を詳細に調べてもらっていて、具体的なアドバイスなどもいただきました。大変親切な先生でした。
手のひらサイズのカップと封筒を手渡され、次は精採室へ。
まさか、診察室の向かいだとは思いませんでした。笑
広めのトイレくらいの広さで、小さなテレビとDVDプレーヤー、ヘッドホン。テレビ下の棚には10種類ほどのアダルトビデオ。椅子と手洗い一式。
「必ず鍵を閉めてくださいね!」と念押しされましたが言われなくても閉めます。
「精子の量、活動量が少ないと受精できません。」と先生の注意があったのを思い出し、複雑な心境を堪え、たくさん出すことに集中しました。
それが功を奏したかどうかは不明ですが、精子量、精子活動量共に平均の10倍くらい?でした。先生はさりげなく笑っていたので僕も笑いました。
将来使用する時は、取り出した卵子と凍結保存した精子を試験管のような体外で受精させたあと、子宮に送り込んで着床を待つ方法がとられます。一回の着床確率は3割程度ですが、今回保存した精子で10回の体外受精ができるのでほぼ確実に着床できるという算段です。
保険適応外ですが、初回診察料が15,000円くらい、精液検査料2,000円くらい。毎年の更新手続きが10,000円くらい。と、思ったよりリーズナブルでした。
帰りはとびっきり美味しいものを食べて、湘南鎌倉に戻りました。
発覚12日目【治療開始】
こうして、おそらく長い道のりになるであろう、抗がん剤治療の最初の1クール目が幕を開けたのでした。
あとがき
超ハイペースで発覚から治療までわずか2週間弱でした。
それでも何の腫瘍かわからなかった5日間は精神的に苦痛でしたし、治療方針が化学療法と決まってから治療開始までの6日間は「早く治療やりたい」焦りの気持ちが募りました。
それを乗り越えられたのは仕事終わりに心配して顔を出していただいた職場の方々、わざわざ県外から時間とお金をかけて来てくれた友達達のおかげです。
この12日間、毎日誰かしら来ていただいて励ましていただきました。お話をしているときは、病気のことを忘れることができるのです。
癌とはいえ、周りに恵まれました。ありがとうございました。
まだまだ治療は長い道のりですが、これからもよろしくお願いします。